ビスケットの缶

カテゴリ:いろいろ( 64 )

二つの世界

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鎌倉で訪れたカフェ、「ミンカ」。
お日様さしこんで、緑がまぶしい心地よい空間でした。

アメリカで暮らすようになって、日本へ帰るたびに不思議な感覚になる。
ひとつの扉を隔てて日本とアメリカと二つの世界が存在するところをイメージする。
私たちはパタン、パタン、とその扉を開けて二つの世界を行き来する。
どちらもリアルな夢のように、アメリカにいるときは日本にいる自分の姿がぼんやりと影を薄める、逆に日本にいるとアメリカで暮らす自分の姿が夢を見るようにぼんやりとしてくる。
どちらも本物でどちらも夢。

日本へ来て一ヶ月、やっと人ごみを上手に歩けるようになった。
子供たちは電車の乗り方を覚え、PASMOも使いこなせるようになった。
そんな日本の生活も残り少なくなってきた。

日本が大好きなお兄ちゃんは、日本の暑さに弱い。
少し前の暑さとともにもらってきたお兄ちゃんの風邪は臨海学校前になんとかよくなって間に合った。
けれど、久しぶりにアトピーの症状が出てきていて臨海学校の後の疲れもあって少し気分もすぐれない。
今回、日本は湿度があるからと油断してお兄ちゃんの保湿クリームやボディーソープを持ってこなかったのがいけなかった。
慌ててドラッグストアに駆け込んだ。
「アメリカが恋しくなっちゃった。」
眠る前、これまでで初めてそんな言葉が漏れた。
アメリカと日本、お兄ちゃんと弟はどんな風に感じているのかな。
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by cinnamonspice | 2015-07-17 08:40 | いろいろ | Comments(4)

century

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「ママはlight colorが好きだから。」
小人が選んでくれた白いバラのブーケをFloraのピッチャーに活けてみた。
切花が、花瓶に活けた翌日、水をたっぷり飲んで、花開いた様子を見るとうれしい。

小人が、指定された二つの単語を使って文章を書くという宿題をしていました。
そのうちのひとつが「century・citizen」でした。
「centuryって何?」
と尋ねる小人に、小人みたいに2001年を超えて生まれた子供は21世紀生まれで、1900年代に生まれたママたちは20世紀生まれなんだと説明してから、いまさらながら、小人たちと自分たちは世紀で隔たれていると知ってショックを受けたのでした。
隣で聞いていた弟小人が、ニヤニヤしながら、すかさず、
「ママ、結構oldだね。」
と、追い討ちをかける言葉を投げかけました。舌足らずだけど、こういうときの間合いだけはいい子です。
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by cinnamonspice | 2014-04-12 14:07 | いろいろ

海と太陽

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 私の周りに、本当の「お母さん」という人を二人知っています。その人たちは、いつもにこにこ子供のすべてをふんわり包み込んで、あるがままを受け入れるそういう人です。その人たちと会うたびに、この人は生れながらにお母さんなのだと思います。その人たちは、日常生活ではおっとりしていて、ご本人によると、片付けが苦手だったり、車のドアを開けっ放しで何時間もすごして知らない人から教えてもらったり、そのたびに、「こんなお母さんだから。よくだんなさんにも叱られちゃうんだよね。」と恥ずかしそうに笑うけれど、謙虚な姿勢は、質素な身なりをした高僧のように、その後ろ姿にはオーラがあるようにも見えます。彼女たちの「お母さんの心」は本当に海よりも大きいと感じます。水溜りや池くらいの心の私は、ただただすごいなぁと尊敬するばかりです。
 彼女たちは、何かを選択するときは、現実の問題よりも(大人の事情よりも)まず子供のことを考えて選択します。子供が何か失敗しても、
「仕方ないよね」
と笑い、小さかったころ子供がだだをこねても、
「かわいそうよね。」
と味方になってあげます。もちろん、叱るべきときは叱っているのも何度か目にしたことがあるけれど、大概の小さなことは風呂敷のように大きな心できゅっきゅと包んでしまう。
「男の人はすぐ怒ってしまってね、かわいそうでね。」
なんて笑っていつも子供の味方に。私はだんなさまより真っ先に怒るほうなので、そう言われると頭があがらなくなります。お会いするたびに、あぁ、こういうお母さんがお母さんだったら幸せだなぁと思います。
 いつも太陽のように。海であり、太陽であり、お母さんって大きい。
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by cinnamonspice | 2014-03-16 11:30 | いろいろ

Kinfolk

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今回の「Kinfolk」は、「Aging(日本語で“老い”と書くとちょっとネガティブな感じがするように思います。)」がテーマで、手に取りました。まだ読んでいる途中ですが、「木」や、「slow food」、「カッティングボードなどの道具」や、「ice age」など、ゆっくり時間を重ね、変化(growning)していく自然のものを取り上げながら語られる「Aging」のお話ひとつひとつに、体の中に澄んだ水がしみこむような感覚になります。
 6年前、初めてセコイヤの巨大な古木を見たとき、「Aging」というのは、悲しいことでも、寂しいことでもなく、自然の営みなのだということとすんなり受け入れられたように思います。ところどころに倒れたままに残された巨木もまた、動物たちの住処になり、少しずつ朽ち果てながらも苔や新しい木の芽が芽吹き、命をつないでいくということに胸を打たれました。セコイヤで大きな古木「General Sherman Tree」を目の前にするたびに感じる安らぎ、人々があの巨木に魅せられるのはそのせいなのかもしれません。
 冒頭のエッセーを読んでいたら、京都大原で暮らす、イギリス人のベニシアさんの“今は心の病に苦しむ人が多いけれど、昔の人は自然に寄り添って生きていたからそうした悩みを持つことが少なかったのかもしれません”という言葉を思い出しました。私たち人間は、近代化とともに自然を遠ざけてきたけれど、やはり自然なしでは生きられないのかもしれません。私自身、キャンプで大きな自然を目の前にするたび、お母さんの腕に抱かれているような安心感とともに、日常の頭を占めるもやもやとしたものたちが浄化されて、すべてを受け入れられるように感じます。じっと同じところで辛抱強く年月を重ねる木。動いていないようで、ゆっくりゆっくり動き続ける氷河。自然に目を向けると、私たちはちょっと歩みのスピードを緩める必要があるのかもしれません。
 人も木のように、どっしりと根を張り、苔をまとい、ところどころにできたこぶひとつひとつに、年を重ねていくということは美しいことだということを、教えてもらいました。
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by cinnamonspice | 2013-12-14 16:59 | いろいろ

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 明け方夢を見ました。4年前に亡くなったウェルシュコーギーのミルの夢でした。実際には、じいじの腕の中でとても幸せな最後を迎えたミルでしたが、夢の中でミルは死の淵をさまよっていて、苦しんでいました。何もしてあげられなくて、悲しくて苦しくて泣いていると、夢の中、それとも目が覚めてからか、不思議と冷静に、「本当はミルは幸せな最後だったはず」と思っているところで、ベッドの上にいる自分に我に返りました。とても悲しい目覚めでした。
センチメンタルな秋の空気が、ミルのことを思い出させたのかもしれません。
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by cinnamonspice | 2013-10-15 09:57 | いろいろ

つばめ

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あたたかいところをもとめ、ひらりひらりと世界中を旅するつばめ。
ひとつの場所に根を張る私たちに代わって
つばめは何を見るのだろう。
一握りの平和と、放射能汚染、核実験、大気汚染…
私たち人間の暮らしはどんな風に映るのだろう。

弟小人のリクエストで、眠る前「Lorax」の絵本を読みました。
望まずに、逃げる場所もなく、苦しみを抱えて暮らしている人がいるということも忘れてはいけないことなのだと思いました。
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by cinnamonspice | 2013-03-12 03:17 | いろいろ

80%の法則

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玄関にある大降りの掛け時計とはLAに来て間もないころからの付き合い。
木のフレームと文字盤のシンプルな数字が一目ぼれの理由。
ずっとかわらないお気に入り。

 ふと、お友達の言葉を思い出しました。
「以前、私がしていた監査の仕事は、80%合っていれば本当はOKなのよね。だけど、私はそれができなくて、100%を求めてしまったから辛かったんだよね。」
友達の話を聞くうちに子育てもそうだなと思いました。その話をしたとき、
「なんでもそうだよ。」
と、だんなさまが言いました。拍子抜けするくらい当然のような反応だったけれど、迷いのない言葉でした。そう言われて考えるてみると、夫婦にも、あらゆることにあてはまるように思いました。若いころは100%を求めるけれど、年を重ねるにつれ、少しずつ足りなくてもそれでいいんだと思えるようになってきて、最近年を重ねるのもいいものだなと思いはじめました。20%足りないのではなくて、80%もある、と80%について考える/見つめること。「80%の法則」は、幸せを見つける法則なのかもしれません。
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by cinnamonspice | 2012-06-18 13:03 | いろいろ

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「LAは空が大きいね。建物が低いから。」
だんなさまの言葉に、横浜に住んでいたときは、高い建物がひしめいていて空が小さくなっていたことに気がつきました。
「年をとったら、日本の空の大きいところに住みたいね。」
空の大きさ、考えたこともなかった。
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by cinnamonspice | 2012-02-04 07:24 | いろいろ

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小さいころから眠っている間に夢を見ることが多かったことから、高校生のころ、夢というものに興味をもって、フロイトの夢判断などの本を読んだことがありました。夢は無意識の願望をこれまで経験したことをつなぎ合わせて作られるという説など心理学的にはいろいろな解釈があるのだと知っても、理科の授業で、星がどうして光るのかを教わってもなおロマンチックな夢を描いてしまうのと同じように、時々、久しく会っていない人に夢の中で再会したりすると、何かの暗示のような甘く不思議な気持ちになります。

昨日見た長い夢の終わり、小学校の二年生のときの担任の先生が出てきました。
「あー、今、(私の)家(の前)にいるんだけど、さくらんぼを持ってきたから置いていく。」
と、電話越しに先生が言いました。担任をしていたとき、先生はいつもはだしで、ギターを持って歌を歌ってくれたり、先生の行く先にはいつも子供たちの輪ができるような子供たちに人気のある先生でした。その一方で、少年がそのまま大人になったような先生は、実はとてもシャイで人と話すときはのんびり言葉を選びながら話すのでした。夢の中で受話器越しに聞こえる声は、いつもよりさらに言葉少なく、少し元気がなさそうでした。でも、さくらんぼを届けにきてくれたという先生の言葉は、お中元にいつも私たちの実家に出身の山形のさくらんぼを送ってくれていたので、すんなりと受け止められました。
私は、どこか元気のない先生の声が気になって、久しぶりに先生に会いたくて、(夢の中では日本という設定)夜の電車に乗って急いで家に帰ろうとする…。
そんなところで夢は終わりました。
先生は私に何かを伝えたかったのかな。
心理学的にはナンセンスなのかもしれないけれど、でも、夢は過去と未来をつなぐ手紙みたいなものなのかもしれないと思うのは私の希望的空想かな。
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by cinnamonspice | 2012-01-28 03:49 | いろいろ

たからのしまう場所

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 ベッドの中で、いろんなことを考えていました。
「クマは冬眠するけれど、中にはそのまま、上手に目をさますことができなくて、目が覚めないクマもいるのかな。」
そんなことを考えたら、気になって眠れなくなってきました。
だんなさまに尋ねると、
「なかにはいるんじゃない?もう、眠ったら。」

とても疲れた日だったので、何か楽しいことを考えて眠ろうと思いました。
人生で一番幸せだと感じたときのことをだんなさまに聞きながら、自分の幸せなときを考えていました。
夕焼けの中、迎えにいった父のかばんを持って上った坂道、冷や飯で作ってくれた母のみたらし団子をみんなで食べたとき、ハワイの朝、コーヒーを持ってビーチに散歩に行ったこと、オレンジ色に染まるハワイの海で、おなかのベビーと話したこと、そのときの砂の感触。
生きているってそういうことなんだと思いました。
みんな胸の中にそういうたからの箱を持っていて、その中に宝石のように輝く日常のほんの一瞬の思い出を少しずつ集めていくことなのだと。
色あせることなく、いつまでも、箱を開けるたびに泣きそうになるくらい幸せな瞬間が鮮やかによみがえって、その輝きがあれば生きていくことができるのかもしれません。
昔、母が教えてくれったっけ。
人は嫌なことや悲しいことは忘れるようにできているのだと。本当に、そうだと思いました。きれいなものだけが残っていく。
そう、考えたら、長く生きているというのはすてきなことだと思いました。
年をとればとるほど、その幸せの小さなかけらさえ忘れてしまうから、私はここに記しているのかもしれません。
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by cinnamonspice | 2011-11-12 13:21 | いろいろ