ビスケットの缶

朝焼けと夕焼け

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朝のDeath Valley。
朝日が少しずつ山を照らしていく。

少し前まで、人生はどこまでも続いていると思っていた。
その道が途切れることなんて自分の身に起こるのはもう少し先だと思っていた。
砂時計の砂は落ちている、でも、まだ半分は残っていると何の根拠もなく信じていた。
でも、当たり前のように今ある命の道は、明日もあさっても続いているとは限らない。
首の手術をして、ドクターの診断を聞いたとき冷や水を浴びたような気持ちになった。
一時でも年老いた両親に重い荷物を負わせてしまった。
去る人よりも去られる人のほうがつらいのかもしれない。
ある日、朝、目が覚めると涙が出た。
きらきらと輝く朝が来て悲しいと思ったのは初めてだった。
世界が輝くほど悲しくなった。

ネガティブな意味ではなく、
明日もあさっても道が続いているとは限らないということは、誰にでもあてはまる。
命のあるものはそういうもので、人はほかの動物より少し長く生きる分、時々そういうことを忘れてしまう。
でも、若さや生き方に関係なく、容赦なくそのときはいつか誰のところへもやってくる。
100歳のおばあさんのところにも、生まれたての赤ちゃんのところにも。
そのときがいつか、というのは神様だけが知っている。
今を生きるということ。
笑って笑って。いつそのときがきても、後悔がないように。

私がもし寿命を言い渡されたら、何をしたいだろうと考えた。
だんなさまは何でも私の願いを叶えたいと思ってくれているようだった。
でも、きっと私は何もしたいと思わないんじゃないかと思った。
ものや何かで満たされるのではなくて、何もしないで一日一日家族とただ笑って寄り添ってすごせたらそれが私にとって一番の終わり方なんだと思った。
これまでこんなに欲に溢れて生きているのに、おかしい。
でも、人ってそうなんじゃないかな。
最後は寄り添う心があったら、それ以上にほしいものは何もないのだと思う。
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夕方のDeath Valley。
友人と最近は朝日よりも夕焼けに惹かれるという話をした。
年を重ねるというものはそういうものなのかもしれない。

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by cinnamonspice | 2015-04-04 02:23 | キャンプ