ビスケットの缶

伝える思い

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年々お節はシンプルになっていく。子供たちが好きなもの、私たちが好きなものだけをぎゅっと詰めて。
お重は結婚したとき母が贈ってくれたもの。
有田焼の大皿は母の実家で使っていた古いものを結婚のときいただいた。

 年末、お節を作りながら、友人とテキストでお節について語り合った。アメリカでお節を作るのは贅沢だ。日本の食材は高いし、手に入らないものもある。それでも、友人も私も毎年お節を作っている。どうして、お節を作るのだろう、と友人がつぶやいた。れんこんは花形にするし、にんじんは梅の形に切る、里芋は亀甲に(友人は鶴の形にするのだとか)飾り包丁をする。日本のお母さんは職人だと思う。お節のときはアーティストになる。アメリカの料理ではこういう切り方をすることはない。正直、お節を作るのは値段も高くつくし、手間もとてもかかる作業だ。それでも、お節を作る。日本人として生まれて、きっとお節が好きなんだと思う、と。もしかしたらアメリカにいなかったら、自分でお節を作っていなかったかもしれない。実家からも遠く離れて暮らしているからこそ、毎年料理が得意ではない私も重い腰をあげてお節を作っている。そして、子供のころは好きではなかったお節が、年々好きになっていく。
 私の母方の実家は神道の家だったので、正月は親族が集まって、神主のような着物を着た祖母(神道の学校を出た人だった)が取り仕切る神道の儀式にのっとって祝詞をあげたあと、本格的なお節を食べた。お正月の最初の食事は神様へ祝詞を上げた後だった。(うちはこっそり母が家を出る前に食べさせてくれたけれど。本家のいとこたちはおなかがすいて声も出ない様子だった。)呪文のような祝詞を読んで、大きな漆の杯にちびっとだけ入れたおとそをいただいた。正確には舐める程度だったけれど、それでもすきっ腹にいただいたおとそに子供たちはほんのりほっぺたを赤くした。親族全員が一人一人神棚にお榊をあげ、正座する足の感覚がなくなるころになって、やっとお待ちかねのお節のお膳になった。何段ものお重やお皿が並ぶなかで、小学生だった私にとって、きんとんや伊達巻、隅っこのほうにおいてある子供用のハムやチーズ、お雑煮が私のお節だった。でもあるとき昆布巻きがおいしいことを知り、なますがおいしいことを知り、田作りがおいしいことを知った。ひとつ食べられるようになるごとに、大人に近づく気がした。お節の食べ物ひとつひとつに意味があるということも知った。お正月を思い出すとき、あの背筋がぴんと伸びる神道の儀式とともに特別な日として思い出される。
 近年、小人たちも、少しずつお節が食べられるようになってきた。昔は栗きんとんとかまぼことお雑煮で終わっていたのに、田作りも黒豆も小人は煮しめも食べるようになった。お雑煮はお代わりで忙しい。お節を通じて、少しずつ日本人の心や姿勢みたいなものが伝わっているのだと思う。何度も作るうちに私たちのお節ができてきた。品数は少ないけれど、丁寧に作った一品一品、あますことなくかみ締めて正月の三が日いただいた。
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お正月だけ使う漆のお椀は義母が贈ってくれたものを使う。
お雑煮は、不思議な巡り会わせで、だんなさまの実家と同じ味付けになっていた。
昆布と鰹節で取っただしにみりんとしょうゆとお酒と鶏肉から出るだしで。
具は鶏肉、小松菜、にんじん、大根、里芋、かまぼこ(今年は入れるのを忘れてしまった。)。
お餅は少し焦げ目がつくくらいがだんなさまの好み。
三つ葉とゆず(アメリカでは高級品)が欠かせない。

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by cinnamonspice | 2015-01-05 11:00 | まいにちのこと | Comments(2)
Commented by cloversdesign at 2015-01-05 13:57
あけましておめでとうございます!

いつもあたたかいブログ楽しみにしています。
今年もよろしくお願いします。
ちょっと留守にしてて新年のご挨拶がおくれてしまいました。
Commented by cinnamonspice at 2015-01-06 07:06
あけましておめでとうございます。
だんなさまのご実家から戻られたのですね。
お帰りなさい!
新しい年の、新しい空気、気持ちがいいですね。
今年もどうぞよろしくお願いします。
cloverさんの花のある暮らし、今年も楽しみにうかがわせてくださいね。