ビスケットの缶

花火

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北欧のバフェを動かして、少しだけ模様替えをしました。
スーパーマーケットで買ったラベンダーを、ベッドサイドとリビングに吊るしてドライにしているところです。
ふんわりいい香りが眠りを誘います。

アメリカの独立記念日。
お友達のアメリカ人のだんなさまは、日本への一時帰国の際も、この日を逃したくないのそうだけれど、日本人の私たちにはぴんと来ない。
改めて小人に歴史を教わる。

夜、家の近くの高台に行って、近所の花火大会を見に行った。
アメリカでは、この日各地で花火大会が行われる。
(各所に花火を売るブースが設けられ、個人でも花火をするのが許される。)
予定の時刻の前から、随所で行われる花火大会の花火が180度の視界のそこここで見えた。
はるか遠くの花火が小さな花のように空に咲く。
いろんな記憶がよみがえる。
私たちにとって、初めてのアメリカの独立記念日の花火は、ハワイで、小人が生まれてちょうど一ヶ月に見た花火だった。鼓膜もまだ弱いベビーを連れて、それでも、見せてあげたくて恐々連れて行ってしまった。あれから10年が経つ。
私の隣で小人は
「あそこ、ほら、そこ。」
と花火を指差す。
花火の音が怖い弟小人は
「もう、帰ろうよう。」
と、もう、帰りたがっている。


毎年、独立記念日の花火を見ると日本の花火大会を思う。
日本の花火大会には構成があり、間合いがあり、哲学があると思う。
アメリカのは祝砲の延長線上にあり、ひたすら賑わいのように感じる。
日本では、花火大会は日を分けて行われるので、こんな風に180度の視界で、
あちこちで花火が上がる様子を見ることはほとんどないと思う。ちょっとせわしない。
思えば、夏の風物詩の花火を、いろんなところで見てきた。
記憶にある一番最初の花火大会は、幼稚園の盆踊りの花火大会だった。
せっかくの花火大会も、私は花火の音が怖くて大嫌いだった。親や兄弟に言われて泣く泣く
浴衣を着て連れて行かれて耳を塞いで見た記憶がある。
それから20年ほど経って、仕事の人たちと横浜の花火大会をみなとみらいのパンパシフィックホテルの部屋から見せてもらった。その日のために予約した、オーシャンビューの特等席のようなホテルの部屋だった。
高層のホテルの部屋の窓越しに自分と同じ高さに花火が上がった。
でも、せっかくの特等席もホテルの窓から見る音のない花火は味気なく感じた。やはりおなかにずしんと響くような音がないと現実味に欠けてテレビで見るようで物足りないのだと知った。

私にとって一番の思い出の花火は、横浜にまだみなとみらい線が通るずっと前の、インターコンチネンタルホテルができたばかりのころのみなとみらいの国際橋で偶然に見た花火だ。
確か神奈川新聞社主催の花火大会だったのだと思う。その日、花火大会が開かれることを知らずに、人通りもまだまばらな真新しい国際橋の上をたまたまだんなさまと通りかかったとき、頭上に大きな「しだれ柳」が上がった。
大きいというよりは巨大で、隣に立つインターコンチネンタルホテルよりも大きかった。
空を覆いつくすように咲いた花火は、覆いかぶさるように私たちの上で咲いて、ちりちりという音を立てながらきらきらとした光の火の粉が降ってきた。その光にうっとりと見入っていると、忘れたころおなかの奥まで響くような大きなドン、という音が響いた。
あんな大きなすだれ花火は、それ以前にもこれからも見ることはないと思う。
今ほど交通手段もなかった当時は、あれだけの花火大会だけど、そこで見る人はまばらだった。
貸切のような橋の上で、幾人かの人たちと花火を見上げた。
さまざまな趣向の花火があるけれど、「しだれ柳」が美しいと思う。
あのときからそして今もそう信じている。
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by cinnamonspice | 2014-07-05 22:50 | まいにちのこと | Comments(0)