Kinfolk
6年前、初めてセコイヤの巨大な古木を見たとき、「Aging」というのは、悲しいことでも、寂しいことでもなく、自然の営みなのだということとすんなり受け入れられたように思います。ところどころに倒れたままに残された巨木もまた、動物たちの住処になり、少しずつ朽ち果てながらも苔や新しい木の芽が芽吹き、命をつないでいくということに胸を打たれました。セコイヤで大きな古木「General Sherman Tree」を目の前にするたびに感じる安らぎ、人々があの巨木に魅せられるのはそのせいなのかもしれません。
冒頭のエッセーを読んでいたら、京都大原で暮らす、イギリス人のベニシアさんの“今は心の病に苦しむ人が多いけれど、昔の人は自然に寄り添って生きていたからそうした悩みを持つことが少なかったのかもしれません”という言葉を思い出しました。私たち人間は、近代化とともに自然を遠ざけてきたけれど、やはり自然なしでは生きられないのかもしれません。私自身、キャンプで大きな自然を目の前にするたび、お母さんの腕に抱かれているような安心感とともに、日常の頭を占めるもやもやとしたものたちが浄化されて、すべてを受け入れられるように感じます。じっと同じところで辛抱強く年月を重ねる木。動いていないようで、ゆっくりゆっくり動き続ける氷河。自然に目を向けると、私たちはちょっと歩みのスピードを緩める必要があるのかもしれません。
人も木のように、どっしりと根を張り、苔をまとい、ところどころにできたこぶひとつひとつに、年を重ねていくということは美しいことだということを、教えてもらいました。
by cinnamonspice
| 2013-12-14 16:59
| いろいろ